さて、ここまでヒューマンファクターに関する定義を説明してきましたが、ここで筆者の執筆した東京電力株式会社ヒューマンファクター研究室編「Human Factors TOPICS(1994)」の定義を紹介します。
●ヒューマンファクター
人間と機械等で構成されるシステムが、安全かつ効率よく目的を達成するために、考慮しなければならない人間側の要因
●ヒューマンファクター学
人間に関する基礎科学を、人間と機械等で構成される産業システムに応用して、生産性、安全性および人間の健康と福祉を向上させるための応用的科学技術
その後、筆者は医療用に定義を見直しましたので定義を紹介します。
■ヒューマンファクター
人間や機械等で構成されるシステムが、安全かつ効率よく目的を達成するために、考慮しなければならない人間側の要因
■医療ヒューマンファクター工学
人間に関する基礎科学で得られた知見を、人間や機械等で構成される医療システムに応用して、安全性、生産性および医療システムに関係する人間の健康と充実した生活を向上させるための応用的科学技術
(注:ヒューマンファクター学をヒューマンファクター工学としました。その他、「福祉」を「充実した生活」としました。)
まず、要素としてのヒューマンファクターですが、これはここにある通りです。人間や機械などで構成されるシステムとは、今日の労働の現場はほとんど当てはまるでしょう。原子力発電システム、航空管制システム、交通システム、航空機、自動車、医療システムなどです。人間だけで構成される組織なども広い意味でシステムと考えてもよいでしょう。
そのシステム(組織)は必ず目的を持っています。そこでこの目的を安全に、かつ、効率よく達成することが大事です。安全を無視してはダメであり、しかし、安全のために効率を無視すると、システムそのものが成立しなくなります。
知識体系としての定義については、生産性と安全性を求めるだけでは足りません。そこで働く人間を無視してはなりません。例えば、「法外な報酬を与えるので36時間連続して働け」、というのは人間への配慮を欠いています。できないことはないかも知れません。また、報酬が大きいのでそれでもいいという人がいるかも知れません。しかし、36時間連続して働くことは、もともと人間の持っている生理的心理的身体的限界を超えています。そのような仕事の仕方をしていたら体を壊すかもしれません。したがって、システムの目的を安全に効率よく達成する時に、人間の持つ心理的、生理的、身体的限界を超えないだけでなく、そこで働く人が満足感の得られるような場合にのみ、システムが存在する意味があるというものです。人間を犠牲にしてもシステム目的を果たすことは、長期的に見ると許されることではないのです。
筆者の定義するヒューマンファクター工学では、ヒューマニズムの視点を入れました。
参考として、広辞苑(第四版)から工学の定義を紹介しますので、ヒューマンファクター工学の定義と比較してみてください。
工学(engineering):基礎科学を工業生産に応用して生産性を向上させるための応用的科学技術の総称
また、Oxford Advanced Learner’s Dictionary of Current English, 1989では、
engineering : practical application of scientific knowledge in the design, construction and control of machines, public services such as roads, bridges, etc. となっています。
工学は、主に物理学をベースにして得られた法則を、現実の世界に適用するという応用的科学技術として考えられていましたが、最近では、金融工学というような使い方がされていて、必ずしもハードウェアだけを対象にしたものとは限らなくなっています。広い意味では、組織や法律なども工学の取り扱う分野になっていると言えるでしょう。
英和辞典では、engineeringの訳として、工学、工学技術、巧みな工作、たくらみ、画策というようなものが挙げられています。
筆者の気持ちとしては、「ヒューマンファクター学」という用語を使いたいのですが、現場への応用を明確に伝えるために、ヒューマンファクター工学という言葉を使うのがよいと考えています。
参考文献
Swain, A. D. and Guttmann, H. E., Handbook of Human Reliability Analysis With Emphasis on Nuclear Power Plant Application, Sandia National Laboratories, NUREG/CR-1278, U. S. Nuclear Regulatory Commission, Washington, DC, August 1983.