5.どれか一つ起こらなければ・・・―その1 テネリフェ空港での事故―

1977年3月21日、大西洋の小島にあるテネリフェ空港でKLM航空とパンアメリカン航空のジャンボ機が滑走路上で衝突し、死者583名の世界航空史上最大の惨事が起こりました。
この両機は目的のラスパルマス空港が爆弾テロ騒ぎで閉鎖され、しかたなくテネリフェ空港に着陸したのでした。テネリフェ空港の駐機場はそんな飛行機であふれていました。おまけに天気が悪く視界が悪かったのです。乗客たちは滑走路のすみのジャンボ機の中で長時間待たされていました。
やがて目的の空港がオープンになりました。最初にKLM機が離陸滑走のために滑走路の反対に移動を開始し、続いてパンアメリカン機がKLM機の後から滑走路を使って反対側に移動しはじめました 。誘導路は他の飛行機であふれていて通れなかったのです。
管制官は、パンアメリカン機にランプ「C-3」に入るように指示しました。誘導路に導きKLM機のために滑走路を空けるためでした。ところがパンアメリカン機は「C-3」を過ぎて「C-4」に入ろうとしました。
KLM機は出発の準備ができたことを管制官に告げました。管制官は、「O.K.」と答え、2秒後に「離陸をスタンバイせよ」と付け加えました。ところが、KLM機は離陸許可されたものと思い滑走を始めたのです。そして霧の中から突如現れたパンアメリカン機と衝突炎上してしまったのです(図1)。

注:飛行機は風に向かって離着陸します。だから移動する必要があったのです。

図1 テネリフェ空港事故時概略

直接の事故原因は、KLM機が無許可で離陸を開始したことですが、これにはいろいろな背後要因が指摘されています。
まず、パンアメリカン機は「C-4」を曲がろうとしたことです。確かに「C-4」の方が航空機の地上走行には自然な気がします。
また天候が悪く管制官も双方のジャンボ機もお互いが見えませんでした。さらに、無線設備が十分でなく、管制官の「離陸をスタンバイせよ」が他機の通信で妨害され、KLM機に伝わらなかった可能性もありました。
さらに、管制官は「O.K.」と答えてしまいました。この言葉は誤解を招く言葉として、管制官は使うことを禁止されていたのです。
その他、KLM機の機長はインストラクターの経験もあり、訓練では管制官の役で自分で離陸許可を出すことをいつもやっていました。
このようにたくさんの事故の要因が指摘されています。「事故は単独の原因では生じない」というのが事故の専門家の間では定説です。
パンアメリカン機が「C-3」をちゃんと曲がっていれば・・・、管制官が「O.K.」という言葉を使わなければ・・・、通信が妨害されなければ・・・、といったどれか一つが生じなければ大事故は起こらなかったことでしょう。
「大事故はいろいろな小さなエラーの積み重なりで起こる」ということが事故解説の結果いつも指摘されます。逆にその小さなエラーのどれか一つが防がれていれば事故にはならないのです(図2)。

図2 事故には背後要因が複雑に絡んでいる

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