医療事故調査制度について

2021年3月6日土曜日、医療事故調査・支援センター主催で、「現状と医療機関の実践」医療事故調査制度 ~病院管理者・医療安全担当医師・医療安全担当看護師による院内調査の体験報告」(図1)というタイトルで第1回web研修が開催されました。
体験報告ということで、実際に院内事故調査を経験した病院の関係者の話は実の興味のある内容であり、参考になりました。ただ、その体験談を聞きながら、私が日ごろから医療事故調査について考えていることがありますので、それをいくつか説明したいと思います。
(1)医療事故調査と遺族への対応を分けること
医療事故調査の目的は、「同じことを繰り返さない」という再発防止です。このためには、「科学的因果関係」を明らかにして、「理に適った対策」を実施しなければなりません。悲しみに暮れている遺族への対応は病院として誠意をもって対応しなければならないことは言うまでもありません。ただし、事故調査の目的は再発防止ですから、データと理論に基づいて事故に至る因果関係を明らかにしなければなりません。日ごろから患者に寄り添う医療を心がけている医療関係者にはなかなか受け入れがたい考えかも知れませんが、調査と遺族への対応を分けることは重要なことだと考えます。
(2)科学的調査が必須であること
現在の医療事故調査は「医療に起因する予期できない死亡事例」を対象としています。調査目的は上記のように再発防止です。したがって、因果関係の推定は、事故の状況において専門分野が異なるのです。医療事故の場合、次の3つの分野の分析が必要だと考えます。
・医学的分析:なぜ死亡してしまったのかという医学的因果関係を明らかにすること
・心理学的分析:なぜ、その判断をしたのかという心理的な視点から因果関係を明らかにすること
・物理学的分析:医療機器の破損があった場合は、なぜ、破損したのかという工学的あるいは化学的な物理的因果関係を明らかにすること
現状を直視すると、医療事故調査は医師が中心となって実施されているようです。そうなると死因究明の医学的分析が中心となる傾向があります。しかし、調査の目的は再発防止ですから、事例の内容に応じた心理学的分析や物理学的分析も必要なのです。
(3)調査には、知識(knowledge)、技術(skill)、態度(attitude)が必要
事故調査は「科学的因果関係」を明らかにすることなので、事故調査担当者には、調査のための知識(knowledge)、技術(skill)、態度(attitude)が必要です。
例えば、情報収集の一つに関係者からの事情聴取があります。これには関係者の記憶に基づく情報収集なので細かな配慮や技術が必要です。質問の仕方によっては「誘導」になってしまう危険性があります。したがって、事故調査を行うための技術習得のためには、「体系的な教育訓練」が必要だと考えます。
いろいろ問題のある医療事故調査制度ですが、医療安全のためには必須の制度であり、この制度により医療のリスクの低減が大いに期待できると、私は確信しています。最初から完全な制度の実施は不可能です。運用しながら改良していくのがいいと考えます。

図1 研修案内パンフレット

10.常に正しい判断 ―人間の行動を決めるもの―

心理学者のKoffka, K.は、環境には行動に影響を与えるものとそうでないものがあるとの観点から、行動的環境と地理的環境という二つの環境を区別しました。Koffka, K.は次の例で説明しています(島田・杉渓・他, 1981)。

雪の野原を馬に乗っていたある旅人が、やっとある家にたどりつき、一夜の宿を請うた。その家の主人は、旅人が通って来たコースを聞いて旅人の無謀さに驚いた。主人からそのわけを聞いた旅人は、卒倒してしまった。なぜなら、旅人が雪の野原と思って平気で歩いて来たのは、実はそうではなく、湖面に張った氷上の雪の野原であったことを知ったからである。そこは、土地の人ならとても怖くて通れるような所ではなかったのである (p.11)。

この例では、旅人にとっての行動的環境は雪の野原でしたが、実際に存在するのは氷上の雪の野原という地理的環境でした。このように人間行動を決定する環境は、実際に存在する地理的環境ではなく、行動的環境という人間の理解した頭の中に描いた環境なのです。つまり、人間が頭の中に作り上げた心理的なイメージの世界に基づいて、最も合理的と考えられる行動を選択しているのです。なお、私は「行動的環境」というとちょっと分かりにくいので、「心理的空間」と表現することにしています。一方、地理的環境は「物理的空間」という言葉を使っています。
図1は人間の情報処理モデルを示しています。人間は外界の状態を感覚器官で感知し、それが何であるかを、記憶を参照し、あるいは追加の観察により情報を収集し、認知します。その認知して構築した心理的空間の中でいろいろな可能性を予測し、どうすればいいかを検討し、最終決定を行い、実際に行動しています。
ここで重要なことは、行動を決定する前に頭の中でいろいろ検討(シミュレーション)しているということです。この検討(シミュレーション)を行う際に利用するのが、自分の頭の中に構築した空間、つまり、心理的空間なのです。そして、その心理的空間に基づき最も合理的に判断しているのです。
ヒューマンエラーは最終的に決定された行動が、ある期待された範囲から逸脱したものです。その行動の決定は自分が理解して構築した心理的空間に基づいています。しかし、それが結果としてエラーとなってしまうのは、構築した心理的空間が物理的空間と異なっていることが多いためと考えられます。この考えに基づくと、どんなベテランでも心理的空間を誤った場合、つまり、心理的空間と物理的空間が異なった場合は、誤った行動を選択する可能性が高くなると言えます。
行動の決定は、決定前の心理的空間の構築プロセスとそれに基づく検討に依存しています。したがって、エラーはそのエラーによってもたらされた不具合の原因ではあるのですが、行動の決定は結果なのです。このように考えると、正しい行動を取らせるには、まず、心理的空間と物理空間を一致させることが重要であることが分かります。

図1 情報処理モデル

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9.小さな事にも気をつけて ―ハインリッヒの法則―

1974年12月1日日曜日、ダラス空港に向かっていたトランスワールド航空514便が空港手前で墜落して92名が死亡する事故が起きました(図1)。原因は、航空管制官とパイロットの管制用語の解釈の違いによるものでした。進入許可を受けた514便は空港のはるか手前で着陸体制に入り、山に激突したのでした。事故調査の結果、ユナイテッド社でもその6週間前同じ場所で事故に遭いそうになったのを回避した例があることがわかりました。ユナイテッド社では、ダラス空港付近での航空管制官との会話に誤解しやすい部分があり、事故が起きそうだということを情報として社内に流していたのでした。このダラス空港着陸時の危険性についての情報は、ユナイテッド社からFAA(アメリカ連邦航空局)にも伝えられていましたが、他の航空会社までは伝わっていませんでした。
アメリカの航空界ではこの教訓を生かし、ASRS(Aviation Safety Reporting System)という航空界共通のヒヤリハット情報(事故には至らなかったが、危険性をもっている事象)を活用するシステムを開発しました。

図1 トランスワールド航空514便が空港手前の山に激突した(事故調査報告書より)

事故の考え方にハインリッヒの法則(図2)というのがあります。アメリカの保険業界で事故統計をおこなったところ、330件の災害のうち300件は怪我がなかったが、29件は軽い傷害、1件は重い傷害が伴っているということがわかりました。これは、産業災害の発生率から得られた法則ですが、一般の事故災害にもあてはまると考えられています。
ダラス空港の例も、同じような失敗をしそうになっていたパイロットはきっと他にもたくさんいたにちがいありません。そのときは、「ヒヤッ」とはしても「よかった、よかった」といって着陸し、それっきりになっていたのでしょう。当時ユナイテッド社では、約1年前から「ヒヤリハット情報」を共有しようと、気がついた事象の報告制度を始めたばかりでした。この制度では、情報を提供した人に対して罰しないことを前提としており、この考え方はASRSでもとり入れられています。
ちょっとした「ヒヤリハット」であっても何気なく見逃してしまうと大惨事につながってしまう可能性があります。気がついたときにすぐ直したり、全員に周知することが大切です。当社でも各部門ごとにヒヤリハット情報をイラスト付き小冊子などでまとめられていますし、現場では仕事の前にお互いに気がついたことを言うなどの活動をしています。あなたの貴重な経験とひと言で大事故を未然に防ぐことができるかもしれません。

図2 ハインリッヒの法則

この事故はコミュニケーション上の重要な問題を提起しました。
TWA514はダラス空港に近づいたので管制官とコンタクトしました。すると管制官が、「Cleared for approach」とアプローチを許可しました。TWA514は「Roger, cleared for approach」と正しく復唱しました。管制官はTWA514が正しく復唱したので自分の指示は伝わったと思いました。ところが、その後、TWA514は手前の山に墜落してしまったのです(図3)。
のちの事故調査で航空管制官とパイロットの間で大論争となりました。管制官は空港周辺のチャートに書いてある最低安全高度である3,400ftを守ってアプローチ開始高度である1800ftに降下するだろうと考えていました。一方、パイロットは管制官がアプローチを許可したので、その開始高度の1,800ftまで降下してもよいと解釈しました。原因は同じ管制用語が異なった解釈をされていたことでした。また、天候も悪く視界がよくありませんでした。
ここにコミュニケーションの重大な問題があります。すなわち、verbal communicationを確実にするための最低要求事項は、read backとhear backを伴うtwo way communicationですが、その前提として、お互いが同じ解釈をするということです。これが保証されていないと、たとえ、two way communicationをやったとしても不完全なのです。

図3 原因は、同じ管制用語が異なった解釈をされていたことだった

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医療の場面も日常の場面も同じ

チューブに関するトラブルがたくさん報告されています。
患者さんの自己抜去や接続間違い、介助作業中でのひっかけなど、結果や原因もいろいろです。中には、医療機器の電源ケーブルを足でひっかけて抜けてしまった、という事例も報告されています。
事故やトラブルが発生しないようにするためには、まず、作業環境におけるハザード(hazard:潜在的危険性)の発見能力が必要です。医療の現場はハザードがたくさんあります。そこで、このハザードの発見能力を養成するために行われている方法の一つがKYTなのです。
KYTは、危険予知訓練(きけんよちくんれん:Kiken Yochi Training)のことで、工事現場や製造現場などで、事故や災害を未然に防ぐことを目的に、そこで働く作業者が、当該作業に潜む危険を予想し、指摘し、具体的にどのように回避するかを考える訓練です。
医療の現場はハザードがいたるところに存在しているので、KYTは非常に有効な教育訓練手法です。実際に病院や介護施設などで広く採用されています。この能力は、医療の現場だけでなく、日常の場面でのハザードを発見することで高めることができます。逆に言えば、日常の場面でのハザードの存在を知覚認知できなければ、医療の現場でのハザードに対して十分な発見能力を身に付けることができません。
写真1は、医療安全全国共同行動主催の医療安全管理者養成セミナーにおいて、遠隔での実習のために機材を準備している様子です。電源コードやLANケーブルが床にあります。これが気にならなければ、医療の現場での医療機器の電源コードや計測用ケーブルのハザードを検知することは難しいと考えられます。
写真2は、電源コードやLANケーブルをテープで押さえ、歩くときに引っ掛ける可能性を少なくした状態です。医療の現場では移動を伴うことが多いので床にテープで固定する、ということは実質的に難しい場合もあると考えられますが、それでも「危ないぞ!」という感覚も持って、現場の状況に応じた対策を取っていただきたいと思います。

写真1 準備の段階
写真2 配信中の状況

慶友整形外科病院P4S活動

群馬県館林市にある慶友整形外科病院では、P4S活動に取り組んでいます。
P4Sとは一体何か?一般の人には分からないのが当然です。これは慶友バージョンの「新5S」のことです。
さて、新5Sとは何でしょうか。これもあまり聞いたことがないかもしれません。しかし、「5S」は聞いたことがあると思います。また、多くの病院ではすでに5Sを取り入れ、積極的に取り組んでいます。これは「医療安全と効率」に極めて重要な活動です。
5Sとは、ご存知の通り、整理(Seiri)、整頓(Seiton)、清掃(Seisou)、清潔(Seiketsu)、そして躾(Shitsuke)のことです。新5Sとは、この5つのSの中で最も重要なのは躾であるという考えから、躾を一番先に持ってきて、躾、整理、整頓、清掃、清潔に並び替えたものです。ただし、ただ並び替えただけでなく、この最初の躾を本当に最も重視しているのです。つまり、躾がしっかりとしていなければ、ほかのSはうまく行かないという考えなのです。
慶友整形外科病院では、理事長が職員に対して、”もっとも重視すべきものは「まごころ」である”という考えをいつも訴えていたことから、「まごころフィロソフィー」という病院職員が共通に持つべき価値観を定めました。そこで、まごころフィロソフィーを中心に整理、整頓、清掃、清潔の活動に取り組むことにし、P4S活動と呼んで取り組んでいます。
この写真は、P4S活動推進グループのミーティングの様子です。プロジェクトリーダーは、昨年入職したばかりの若い女性です。初めての取り組みなので、うまく行っていない部分も多いのですが、みんなで知恵を出し合って活動しています。
写真の右手前には病院長が出席しています(写真1)。ここが重要なところです。最高責任者があれこれ指図をするのではなく、具体的活動については活動の主体である職員に任せ、しかし、ただ任せておくのではなく、この活動は重要である、と言うことを理解し、出席してみんなの活動を見守っているのです。この姿勢が重要なのです。
私も推進グループの会議の様子を見ていますが、彼らの発想が面白いと同時に、その発想のユニークさに感心しています。

写真1 P4S活動推進グループの会議の様子

心理的働き方改革

2018年6月29日、「働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律(働き方改革関連法)」が成立しました。この法律は、1.長時間労働の是正、2.正規・非正規の不合理な処遇差の解消、3.多様な働き方の実現、という3本柱になっています。医療の現場は確かに改革が必要だと思います。
働き方に関することは私の専門ではありませんので、みなさんにお役に立つことは何も出来ませんが、医療安全に関係していることから、私のところには医療安全に関する相談が多く寄せられます。ただ、医療安全の問題というよりも、人間関係の問題だと考えられるものも多いのです。
例えば、上司が自分の意見を聞いてくれない、パワハラ的言動があって仕事を辞めたいなど、一方、管理職からも、部下が言うことを聞いてくれない、部下の行動が変わらない、などの相談があるのです。これらの問題は給料を増やしたり、労働時間を短縮したりしても肝心の人間関係がそのままであれば、上司も部下もお互いに不幸な状況の改善は期待できないのです。そこで私は、この状況を少しでも改善するために「心理的働き方改革」を提案したいと思います。
先日、前橋赤十字病院の分析実習の報告をしましたが、昨年の実習報告を動画でまとめ、そのなかに心理的働き方改革の提案をしていましたので、紹介します。2020年に作成した動画ですが、私の主張は変わっていません。参考にしていただけると幸いです。
最初の部分は報告事項ですが、働き方改革については、8分45秒あたりからです。

ImSAFER分析Advanceコースの実施  ー前橋赤十字病院ー

2021年2月13日、前橋赤十字病院でImSAFER分析実習が行われました。
コロナ対策のために、多くの組織で集合研修が中止となり、あるいは、遠隔での実施となっていますが、前橋赤十字病院では、コロナ対策での中止も考慮されたそうですが、それでも、「医療安全は重要である」という判断から、分析実習が行われました。
私にとって久々の会場での分析実習でしたが、やはり細かな点まで指導できるとともに、院内の職種横断的なコミュニケーションの活性化にもグループワークは有効だと、改めて確信しました。
私が日ごろから、科学的視点で判断し行動することを主張していますが、この病院では、食事については「黙食」のカードが各テーブルに置かれ、病院幹部が監視のために巡回しているとのことでした。
また、今年はいつもよりもかなり広い部屋を使い(写真1)、グループワークで使用する机の数を増やし研修参加者間の距離を確保し(写真2)、また、休憩時間には窓を開け、荷物は床に置かない、マイクはかならず消毒して使うなどの細かなウィルス対策が行われました。
新型コロナウィルス対策では「正しく理解し、正しく恐れ、正しく行動」することが重要です。

写真1 広い部屋を使い、休憩時間には窓を開け、換気しての実習
写真2 参加者間の距離を広くとり、蜜を避けて実習

8.モデルってなに? ―複雑なものを考えやすくする―

人間はたいへん複雑です。見る角度によりいろいろな面が見えます。生理学的側面、認知的側面、集団的側面、その他いろいろな側面があります。このような複雑な人間を理解するにはどうすればよいのでしょうか。
ヒューマンファクター工学では、この複雑な人間や事象を理解する手がかりの一つとして、モデルを利用します。
モデルと言っても華やかなファッションショーでのきれいな衣装に身をまとった美しい女性のことではありません。無味乾燥な頭で考えるモデルです。
モデルは、現実の世界のあらゆる側面をすべて忠実に写し取るのではなく、関心のある部分だけを写し取り、他を捨ててしまいます。例えば、プラモデルは現実の飛行機を模擬していますが、実際に飛ばすことはできません。ラジコン飛行機は、実際に飛びますが形はプラモデルほど精密ではありません。つまり、モデルはどこに関心があるかによって異なり、プラモデルでは形の忠実な模写を、ラジコンでは機能の模写を行っているのです。
複雑な人間の行動を考えるとき、理解しやすいようにいろいろなモデルが提案されます。例えば、ラスムッセンのSRKモデル(図1)はプラント運転員の情報処理のレベルと行動を理解するのに便利です。また、黒田のモデル(図2)は、人が情報をどのように処理しているかを理解するのに便利です。その他、ハインリッヒの法則も事故のモデルと言っていいでしょう。ハインリッヒのモデルから事故防止のためには何をしなければならないかが容易に理解できます。

図1 ラスムッセンのSRKモデル
図2 黒田の情報処理モデル

SHELモデルはヒューマンファクター研究で広く用いられているモデルです。ヒューマンファクターを考える上で問題を整理するのに便利です。F.H.ホーキンスが提案したオリジナルのSHELモデルではManagementがありません。そこで、筆者はManagementが見えるようにmSHELモデルを提案しました。その方が考えるとき便利だからです。医療においては患者が重要なので、患者の要素を加えたのがPmSHELLモデルを考案しました。
表1は、一般に用いられているモデルの種類です。私たちはこのようなモデルを複雑な人間にかかわる現象を理解するのに利用するのです。

表1 モデルの種類(池田、1980)

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